PLAY TRUE 2020

PLAY TRUE 2020

© Keita Yasukawa

Truth in Sport

クリーン・スポーツは、人生の財産

スポーツは多くのことを教えてくれます。勝ったときの喜びからも、負けたときの悔しさからも学ぶことはたくさんあります。苦しいトレーニングから得ることは、技術の進歩だけでは決してありません。スポーツにおける全ての瞬間が、自分自身、そして社会に感動を呼び起こすのです。その感動が真の感動であるために、スポーツはクリーンでなくてはなりません。クリーン・スポーツを通しての経験は、人生の素晴らしい財産なのです。

【Give Everything, Take Nothing.】
“(スポーツに)すべてを捧げ、(禁止されているものは)何も摂り入れるな”

これは現在、ドイツのアンチ・ドーピング機構が掲げるスローガンですが、私が現役時代から心にとめていたスポーツに対する姿勢と大いに重なります。
ドーピングを取り巻く環境とそれに対する人々の意識は年々変化しています。私が現役アスリートだった頃は特にその変化が著しかった時期でもあります。スポーツ界にドーピング問題の警鐘を鳴らすべく、世界アンチ・ドーピング機構が設立された1991年、私は17歳のジュニアのアスリートでした。幸運にも私の競技環境は、ドーピングを薦めてくるような人の存在もなく、とてもクリーンなものでした。今は、恵まれた競技環境に守られてきたことに感謝しながら、私が若いアスリートを守る番だという責任を感じています。『ドーピングがもたらすリスクの大きさ』と同時に、『クリーン・スポーツの価値』を伝える責任です。

True Moment in Sport

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© Alexander Hassenstein / Bongarts

35
1973

結果よりもプロセス

私は7歳のときにフェンシングを始めました。それより前から兄と姉がプレーしている姿を見て憧れていましたが、まだ小さかったので仲間には入れてもらえませんでした。ようやく父親からフェンシングを始める許しが出たときの喜びは、今でもはっきりと覚えています。

16歳のとき、生まれ育ったオランダの小さな町を出て、ドイツのボンにある全寮制の高校に通いながらフェンシングに打ち込むことを自ら決断しました。家族や友人から離れてひとり越境することの寂しさ、新しい言語や文化に対する戸惑いなども当初はありましたが、いつしか、同じ志を持つ仲間と高いレベルのフェンシングを通して凌ぎ合うことに熱中している自分がいました。今思い返してみると、この決断が私にとって最大のターニングポイントであり、高校生活で培ったことは、今日ここにいる自分の根幹の要素となって活きています。特に、集団生活を通して学んだ時間管理の仕方や、練習や試合で悔しい思いをしたときの気持ちの整理の仕方は、スポーツの場面においてだけでなく、私自身の人生の大事な要素の1つとして、とても役立っています。

2008年の現役引退までの主な競技成績として、世界ジュニア選手権優勝2回、世界選手権優勝2回、オリンピック出場3回といったものがあり、このような輝かしい成績が残せたことはとても誇らしく思っています。しかし、今の自分の糧になっているものの比重は、このような成績を得るまでのプロセスのなかで経験してきたことのほうが大きいように思います。
『結果よりもプロセスを大切にする』という考え方そのものを私に教えてくれたのがスポーツでした。
人は目標や結果に向かって効率のいい直線を歩きたがるものですが、同じ目標に向かう仲間から得るものや、結果を得るまでに努力や試行錯誤を繰り返すことなど、曲がったり折れたりのプロセスにこそ大切なものが転がっていると私は思います。

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© Keita Yasukawa

次世代へ。ユースとの対話

現在私は、IOCアスリート委員会・理事会、及び、世界アンチ・ドーピング機構のアスリート委員会・理事会のメンバーとしての活動を通し、可能性に富んだ次世代の若いアスリートをサポートすることに、大きなやりがいを感じています。
現役の若い頃は、今のような活動をしている自分を全く想像していませんでした。徐々にそのような興味や意欲が湧いてきたのは後年になってからのことです。
大学で化学を専攻したことが、アンチ・ドーピング活動に興味を持った大きな理由のひとつではありますが、何よりも、多くのことを享受してくれたスポーツ界に少しでも恩返しできたらという想いからです。
クリーン・スポーツの保全・推進は言うまでもなく最重要課題ですが、未来のアスリートたちのために改善すべきことは、その他にもたくさんあります。競技環境を整えると同時に、学校生活をはじめとした教育環境の整備もとても重要だと感じています。引退後の将来のためにも、スポーツ一辺倒ではいけません。スポーツを通して学んだことを、引退後の人生にいかに繋げていくか。このバランスをうまく保てるよう導いてあげることも大切です。

2008年の引退以降、年々活動の幅は広がり、今はドイツの自宅にほとんど帰れないほど多忙な日々を送っています。
アスリートたちのために今何をすべきなのかを模索するため、そして彼らの生の声を聞くために、各国を訪れる際は、地元地域のアスリートと直接会って話す機会を設けるよう努力しています。スポーツの未来は、現役アスリートでない大人たちが、机上で議論し創っていけるものではないと思います。

FUTURE

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© Keita Yasukawa

『クリーン・スポーツ』と『教育』を、全ての子どもたちのために。

ドーピング問題の歴史を顧みると、長年続くイタチごっこのようなものでもあります。 科学がどんなに進歩しても、アスリートとそれを取り巻く周りの人たちのメンタリティーが変わらない限り、解決することはできません。
是と非の境目を明確にし、透明化をさらに推し進めること。クリーン・スポーツの価値に対する認識をさらに深めること。そして、あらゆる分野から知恵を出し合い恊働することが重要です。

次世代を担う子どもたちのため、世界のどこにいても、『クリーン・スポーツに参加する環境』と『教育を受ける環境』が平等に与えられるようになること。これが究極の理想像です。
私たちの取り組みを通じて、スポーツの未来が、明るく、クリーンな指針で発展していくことを切に願います。

Truth in Me

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© Keita Yasukawa

クリーン・スポーツのクリーンな循環

今ここにいる私という人間は、スポーツを通して形成されたと言っても過言ではありません。スポーツは、私にとってそれだけ大きな影響力を持っています。
私はこれまで、ぶれることなくクリーン・スポーツを貫いてきました。
クリーン・スポーツを通して自分に正直に向き合い、目標を定め、それに向かってハードトレーニングに打ち込み、そして時には挫折を味わいながらも、世界チャンピオンになることができました。
私にできたのだから、誰にでもその可能性はあると信じています。

【Give Everything, Take Nothing.】
“無条件で、後進に全てを与える”

現役を退いた元アスリートの立場として、私は今この言葉をこう解釈しています。
クリーン・スポーツを通して私がこれまで経験してきた全てを、後進に惜しげなく伝えていくということです。
7歳でフェンシングを始めてから35歳で引退するまでの長きに渡り、私はスポーツからたくさんのものを貰ってきました。今は私が与える番です。
後進には、将来、その次の世代に同じようにこのスポーツの価値を伝えていってほしいと思います。
“クリーン・スポーツのクリーンな循環”となることを願って。

スポーツにすべてを捧げ、禁止されているものは何も摂り入れるな クラウディア・ボーケル PLAY TRUE2020

クラウディア・ボーケル

生年月日
1973年8月30日生まれ
国籍
ドイツ連邦共和国
種目
フェンシング

オランダはフローニンゲン州テルアペル村の出身。
16歳で単身ドイツに渡り、多数のオリンピック選手を輩出するフェンシングクラブ、Olympischer Fechtclub Bonnに入門。そのわずか3年後には世界ジュニアチャンピオンになる。
過去3度のオリンピックに出場し、2004年アテネ五輪ではチームで銀メダルを獲得した。
2008年に選手生活を終了し、IOCアスリート委員への選出や、オランダのラートボウト大学にて学位を取得する等、スポーツと教育環境の整備に積極的に関わるようになる。
2015年11月現在は、IOCのアスリート委員長、WADAアスリート委員を務める他、リーダーシップ・プログラムS・U・Pのアソシエートパートナーやキャリア開発プログラム、その他の多くの機関の世界的な責任を担っている。