PLAY TRUE 2020

PLAY TRUE 2020

© Yuki Saito

Truth in Sport

自分のエゴを映し出し、困難を乗り越えるツール

スポーツは、ありのままの自分に自信をもたせてくれます。私はスポーツを通して、自分には人と違う唯一無二の特徴があり、私自身の特徴を活かしていけばいいのだと思えるようになったのです。世界の人々は、みな違う。民族も、宗教も、障がいも様々で、みな違う-そう思える自信を持てました。

10歳の時に下半身が麻痺し、2年間全く動けなくなりました。自尊心も自信も無くし、気持ちを整理することができなくなってしまいました。しかしスポーツを始めたことで心身共にバランスがとれ、自己管理できるようになり、生活の質も向上しました。以前は自分が「違う」ということで、他の人に受け入れられないことを恐れたり、疎外感を感じたりしていましたが、今は自分が持つ「違い」がユニークであるという自信が持て、日々の生活の中で自分にできること・できないことを的確に判断することができます。自分の身体のことをよく知り、エクササイズをすることで免疫力が上がる。そうすると、仕事や学業、人と接するときにも自信をもって臨めるようになります。スポーツは私にとっては必要不可欠、生活の一部で、セルフマネージメントのための薬のようなものです。

スポーツを通して多くのことを学びましたが、特に、常にポジティブで規律正しくあり、自分のリミットを知ること、さらに、謙虚さや他の人へのリスペクト(尊重)が大切であることを学ばせてくれました。私はパラスポーツの国際競技大会などに出場し様々なパラアスリートに出会ったことで、自分の中にあるエゴに気づきました。自分はアメリカで育ち英語も話せる、他のアスリートよりも身体能力が高いなどとおごっていて、他の障がいのあるアスリートを見下していた時もあったように思います。しかし実際は、私より障がいの度合いが高いアスリートよりも、私の方ができないことも多々ありました。多くのアスリートと親しくなり、彼らの人生や障がいについて話をすることで、自分だけでなく、皆それぞれのアビリティー(能力)を最大限に生かそうとしていることがわかりました。彼ら一人一人が自身について、社会との距離の取り方や人との関わり方について考え模索し、スポーツを通して表現してきた。スポーツを通して違うチャンスを得たことで、自分が気づいていなかったエゴに気づき、他の人を尊重すること、謙虚になることを学びました。正に、稲穂が頭を垂れるような思いでした。

True Moment in Sport

イ・ジョンミン

© Jeong Min Lee

15
1999

違いへのリスペクト

私が本格的にスポーツを始めることになったのは、15歳の時から。約10年間過ごしたアメリカから韓国に戻ってきた時に、自分が「障がい者」というくくりでしか見られなかったことに衝撃を受けたからでした。私の両親は、私が将来1人で生きる術を身につけ独立できるよう教育を受けさせるため、障がいのある私を単身アメリカに送りました。アメリカでは自分の障がいを感じることなく生活をしました。学校では友達が普通に「サッカーやらないか?ゴールキーパーならできるだろう」と言ってチームに当たり前のように入れてくれました。人種のるつぼのアメリカ社会は違いが当たり前。違いを尊重する、自身の気持ちを表現する 。

そんな環境から一転、社会人になって韓国に戻ってみると、履歴書を見せても、アメリカの大学を出ていようが何だろうが、障がいがあることで「障がい者」というレッテルを張られ、別もの扱いをされてしまいました。その衝撃は大きく、身体を鍛え、たくましくなって韓国社会に溶け込みたいと思うようになり、自分に合ったスポーツを探したのです。

ボートに出会ったのは本当に偶然でした。人気のTV番組からヒントを得て、自分からドアをたたきボートのトライアウトを受けナショナルチームに誘われました。2013年の世界選手権に続き、仁川2014年アジアパラ競技大会に出場し、パラボート競技で銀メダルを獲得。その後、平昌2018パラリンピック冬季競技大会に向けてノルディックスキーのアスリートを探していることを知り、転向しました。修士課程で学びながら、2018年までは自国開催のパラリンピックに向けて、政府の奨学金や各種のサポートを受けて平昌冬季パラリンピックを目指し、何とか生計を立てられる状況でした。

平昌では7つの競技に出場。自国開催の大会でメダルをとるためにひたすら闘い、その一心で誰よりも早く起きて必死に練習しました。残念ながら私は表彰台に上がれませんでしたが、私のルームメートは金と銅をとることができました。ルームメイトを誇らしく思うと同時に、自分がメダルをとれなかったことがショックでとても悔しく、自分に苛立ちも感じました。しかし、妻の「メダルだけが人生のすべてじゃない」という言葉に目が覚め、次の人生を歩むことにしました。

イ・ジョンミン

© Yuki Saito

障がいを持つ人たちに機会を拡げる

現在は、延世(ヨンセ)大学博士課程でExercise Medicine(運動医科学)とリハビリテーションの研究を進めています。韓国の大学に障がい者のためのエクササイズ(運動)プログラムや施設を作ることが私の最大の夢だからです。障がいを持つ学生が大学に通っていますが、障がいのために学位をとるのに苦しんでいます。身体を維持するためにエクササイズをすべきなのですが、大学にはプログラムもシャワールームやトイレといった施設もありません。障がいのある学生が大学生活を楽しむことを、大学の環境が阻害しています。彼らには二重の壁があるのです。ソウル大学、延世大学、高麗(コリョ)大学など、韓国のトップレベルの大学でさえもです。延世大学でエクササイズ・プログラムを立ち上げるなど、私がパラリンピックや多くのスポーツから学んだことや、エクササイズの方法などを教えたいと思っています。

また、アジアパラリンピック委員会(APC)のアスリート委員としての活動、韓国アンチ・ドーピング機構(KADA)、韓国パラリンピック委員会の国際委員会の仕事もしています。 “IPC & Adecco Company’s Athlete Career Program”で資格を取得しトレーナーにもなりました。平昌冬季パラリンピックに出場する直前には、ロシアからのアスリートが出場するかどうかで直接的に順位の影響を受けることになるという情報が、その背景もわからず突如として入ってきていました。私はKADAなどの活動に関わりながら、日頃の厳しいトレーニングを積み重ねてきているアスリートが自分自身に適切な判断をできるよう、韓国の教育プログラムの充実化の必要性を感じています。アスリートとしてアスリートに直接伝えられることもあります。そんなアスリート視線も大切にしながら、先輩として、教育者として広い観点からより良いアドバイスができたらと思っています。

FUTURE

イ・ジョンミン

© Yuki Saito

スポーツを通して人生を変える

私が障がいのある子どもや学生に伝えたいことは、障がい者は健常者の10倍、100倍頑張らないといけないことがあるけれど、「あきらめるな」ということです。とても困難な状況にあるということを踏まえた上で、障がいがあるからできないと考えてはいけない。夢を達成するための道はあるのです。また、教育もあきらめないでほしい。スポーツをしてパラリンピアンになることも、障がい者として社会の障壁を乗り越えられる選択肢の1つでもありますが、教育を受けることとのバランスを取る必要がある。私は教育を受け、障がいがあっても自分のキャリアを追求し、維持することができています。もしスポーツと教育のバランスをうまく取ることができれば、人生の目標達成に役立つと思います。

平昌冬季パラリンピックで、韓国はノルディックスキーで金、アイスホッケーで銅メダルをとりました。平昌冬季パラリンピックを経て、韓国の人々だけでなく世界レベルでパラスポーツに対する認知度が上がり、理解が深まったことはとても良いことでした。韓国政府もパラリンピックの予算を増やし、パラスポーツのために体育館やトレーニングセンターを作ろうとしています。私が今、自身の研究と韓国のパラスポーツ振興に関わる中で感じていることは、これからは障がい者自身がもっとアイディアを出し合い、発信していく必要があるということです。障がい者自身が、自分がどうやって生き抜いていくのか、いかにして違いのある社会の中で楽しむことができるかを考え、発信していくのです。障がいのある学生が、どの学生とも同じようにスポーツや身体を動かす機会を持ち、支障なく楽しい大学生活が送れ、学位が取得できるよう機会を拡げていきたい。私の取り組みもこれから20年・30年続ければ、もしかしたら障がい者支援への国の教育予算などが増えるかもしれませんし、複数の大学に障がい者向けのプログラムや施設ができるかもしれません。

私の人生は、スポーツによって変わりました。私はスポーツを通して他の人たちの人生にも影響を与えることをしていきたい。高齢者人口が世界的に増加している今の時代、身体を動かすことは、病気を防いで長く健康的な生活を維持するために、ますます大きな意味を持っています。また、障がい者が自分のポテンシャルを発揮できるような社会にするためにも、身体を動かすエクササイズは重要になってきます。私はパラリンピックでの経験を活かし、大学院での研究や自分が作るプログラムを通して、少しでも多くの人の人生がスポーツでポジティブなものになるよう取り組んでいきたいと思っています。

Truth in Me

イ・ジョンミン

© Yuki Saito

自分の人生を切り拓くチカラ

私が病気を宣告されてから2年後、動けるようになり失った自信を少しずつ取り戻させてくれたのは、スポーツでした。アメリカから戻ってきた後、障がい者が特別扱いされてしまう社会の状況に苦しみ、何とか乗り越えたいと思ってもがいていた中、違いを違いとしてポジティブに受け止め、自身も社会の一員であると思わせてくれたのも、スポーツです。

私が会社を辞めてパラリンピアンを目指すと言った時、両親は「どうやって生活するんだ?」と、烈火のごとく怒り反対。半年間、口をきいてもらえませんでした。両親は、私がパラアスリートとして、障がいがあることをオープンにすることにも反対でした。社会の様々な場面でハンデとなるものを、あえて公にすることが理解できなかったのです。父は厳しく、家族のためにひたすら働いていた、典型的なアジアの父親です。皆が生きるために必死に働き、障がいなど、人との違いが認められなかった保守的な社会を生きてきた両親は、私が進む道の厳しさを考え、どうやって息子に生活力を身につけさせ自立させられるかについて苦悩していました。私は、いつも自分を心配してくれていた両親の期待に応えなければならないと思う気持ちもありましたが、これは私の人生の旅。自分で決めたことをしたかった。この時大反対した両親は、今は私を受け入れ尊重し、責任ある仕事をしている私の姿に満足してくれていると思っています。両親の考えが変わったのではなく、私が変わったのです。

私は自分がしてきたように、障がいがある若い人たちに自分の道を切り拓いていってほしいと思います。私はスポーツで努力して、スポーツで仕事を得ました。自分の信じた道を進み、自分が生活できる糧を見つけました。私にとっては、スポーツが心と体のバランスを取り、社会との関わり方を切り拓くツールでした。スポーツを通して得たチカラを、私の人生の新たなフェーズの旅に活かしていきたいと思っています。

PLAY TRUE2020
Athlete Profile

Jeong Min Lee 国籍

生年月日
1984年1月28日生まれ
国籍
大韓民国
種目
パラ・ノルディックスキー

10歳の時ギランバレー症候群を発症し下半身に麻痺が出る。
15歳の時に単身米国に渡航。ミシガン州立大学を卒業後、米国で就職するが、韓国に戻り金融会社で働く。ボート競技(ローイング)と出会い職を辞し韓国代表チーム入り。

仁川2014年アジアパラ競技大会にパラローイングで出場、銀メダル獲得。
2015年にパラ・ノルディックスキーに転向、平昌2018パラリンピック冬季競技大会出場を果たす。

平昌冬季パラリンピック後引退し、延世(ヨンセ)大学院でエクササイズメディスンとリハビリテーションの研究中。
アジアパラリンピック委員会(APC)アスリート委員長、韓国アンチ・ドーピング機構(KADA)アスリート委員などを務めている。